2014年7月14日月曜日

☆20140713 奥田武晴さん 証言収録

2014年7月14日月曜日 16:57
奥田武晴さんにインタビューしました。場所は広島女学院の放送室、インタビュアーは高1の難波です。今回は東京のテレビの取材も入りました。





奥田さんは昭和2年2月12日のお生まれです。
原爆投下まで呉の大竹の313部隊におられました。
8月6日8時15分に原爆が投下された時、奥田さんは東広島で爆発事故が起こったと思ったそうです。



奥田さんは原爆投下後一週間の8月13日に広島市内にはいられました。
広島市内へ行くために電車に乗ろうとしましたが、電車が来なかったので、歩いて帰ったそうです。
その時の広島は、人の死体は片づけられており、瓦礫が散乱していたそうです。
また、広島の街を歩いていた時、馬が死んでいるのが見えたそうです。
友人に出会いましたが、「大丈夫か」という程度しか話さなかったそうです。






奥田さんは、戦後、大野陸軍病院にいらっしゃいました。
そして、昭和20年9月17日におこった枕崎台風を体験されました。
大野陸軍病院は土石流に飲み込まれたそうです。
しかし、今は、大野陸軍病院のあったところは住宅地になっています。
奥田さんは、また枕崎台風のような災害が起こった時、住宅地に大きな被害が出ることを心配しておられます。







「原爆はぜったい無くさんといけん。」
奥田さんは力強く、おっしゃいました。
奥田さんは世界の出来事に関心を持たれている方なので、このようなこともおっしゃいました。
「原爆はみんなで協力して無くさんといけんが、無理かもしれんな。
広島のより何千倍も強い原爆できているからの。
原発もじゃ。人類が滅亡する。
ほっといてもいかん。平和な国になるように手を打たんと。」



私は奥田さんのお話を聞いて初めて、原爆投下一週間後の広島を知ることができました。
おそらく私のように原爆投下直後の広島は知っていても、少し時間のたった広島は知らないという方は多いと思います。そういう方たちにも、原爆投下一週間後の広島を知ってもらいたいなと思いました。このお話を後世に残していきたいです。(難波)