2017年1月10日火曜日

☆2016910 切明千恵子さん 証言収録☆

2017年1月10日火曜日 14:10
2016年9月10日に切明千枝子さんの証言収録を行いました。場所は、広島女学院中学・高校学校の放送室です。インタビュアーは高1の水野です。

切明さんは現在86歳です。被爆当時は15歳、私たちと同じ高校1年生でした。当時の家族構成は、父、母、長女である千枝子さん、次女、双子の末っ子、そして祖母の7人でした。当時8歳だった双子の妹たちは、安佐南区のお寺に学童疎開していたので被爆はしませんでした。

当日、千枝子さんはタバコ工場に動員されることになっていました。「なんでタバコなんか」と反発する生徒に、先生は「心身ともに疲れ切った兵士にとってタバコは、一服吸って元気を出すもの立派な必需品だ」と言いました。当時365日働く通年動員という法律が施行され、毎日立ちっぱなしで働いたので、千枝子さんは足を痛め、7月の終わり頃から通院していました。6日の朝も7時に出勤し、朝礼で東方遥拝をした後、8時頃工場を出て、病院に向かいました。途中の橋を渡る前に少し休もうと思い、近くの小屋の軒下に入った瞬間、強い光が目に入り、爆風で地面に叩きつけられ、気を失いました。意識が戻ると小屋の下敷きになっていました。幸い、自力ではって出ることができました。空襲警報も警戒警報も解除されていたので何が起こったかわかりませんでした。

最初は、真っ暗でしたが、だんだん明るくなり、周りが見えるようになりました。たった今歩いてきた道沿いに並んでいた家はつぶれて、渡ろうとしていた橋の奥には、燃えている服を着て走って来る人々やまだ火の手の上がっていない南へと走って行く人々が見えました。それは建物疎開に動員されていた中学1・2年生達でした。

千枝子さんは、タバコ工場に戻りました。道らしきものはどこにもないので普段は15分の距離を50分かけて、なんとか引き返しました。しかし、工場には誰もいませんでした。1人だけはいつくばって、頭から血を噴出している友達が出てきました。ガラスの破片が首に沢山ついていたため、千枝子さんは応急処置を施しました。「あなたもけがをしているわ。」と言われ、千枝子さんは自分もけがをしていたことに初めて気が付きました。その友達に手当てしてもらいました。宇品の方にはまだ火の手が及んでいなかったので、宇品にある学校へ向かいました。校舎は無事で、他の1・2年生も続々と帰ってきました。ひどい火傷を負っている生徒も多く、先生が油を塗ってあげたそうです。しかし、「痛い」「熱い」「お母さん」などと言いながら、亡くなり、校庭で荼毘にふされました。千枝子さんも、その手伝いしました。壊れた校舎を薪にし、暁部隊にもらった重油で死体を焼くと、内蔵の破裂する音がしたり、神経が反応して手足が動いたりしたので「まだ生きているのかも」と動揺したそうです。遺骨をわら半紙につつみ、駆け付けた家族に渡しながら、「私は生き残ってごめんなさい。」とひたすら謝ったそうです。その時の様子を千枝子さんは、目に涙をためながら話してくださいました。「私たちは戦前おいしい物も食べた。このとき死んだ下級生たちはずっと戦争のため年中おなかをすかせ、勉強もできず、重労働をさせられ、全身やけどで死んでいった。かわいそうでやりきれない。亡くなったものも生き延びた者もみんな不幸だ。」とおっしゃいました。千枝子さんは9月に急性原爆症を患いました。外傷がなくても内部被爆でなくなる人が多かったので怖かったそうです。が、年があけるころ、少しずつ回復し、髪も生え、なんとか生き延びました。が、のちに子宮がんや卵巣腫瘍になりました。今も甲状腺の異常で毎日ホルモン剤を飲み続け、頻繁に体調を崩しています。18歳までに放射能を浴びると甲状腺に異常ができると聞きました。母親型の親戚は69人全滅で骨もみつかっていません。拾いきれない骨が盛土で埋められたままの平和公園は千枝子さんにとってはお墓同然で、今も「ごめんなさい」と思いながら歩いているそうです。爆心地付近は繁華街だったので一般市民の犠牲者も多かったのに、「公園だったから被害が少なくてよかった」と勘違いしている人がいるのが悲しいそうです。祖母はずっとアメリカを恨んでいましたが、千枝子さんは年を重ねるうちに、「恨みを恨みで返してはいけない。報復より二度と戦争を起こさない努力をするほうが大事だ。」と考えるようになりました。

千枝子さんはさんは、私たち若者へのメッセージとして「71年自衛隊は誰かを殺したり殺されたりしていない。でも集団的自衛権が容認された今、同じ人間をまた敵と呼んで殺しあう時代が迫っているようで恐ろしい。戦争は一度はじめたらなかなかやめられない。せっかく生まれてきたのだから、戦争なんかで殺されないでほしい。犠牲になるのは一般市民。加害と被害両方の歴史となぜ戦争が起こるかをしっかり勉強し、自分たちが声をあげて、戦争を阻止し、生きとしいけるものが平和に共存する世の中にして、幸せに生きてほしい。」とおっしゃいました。負の歴史をしっかりと学んで、今の社会の平和さ、大切さを知り、この平和を謳歌したいと思います。