2014年9月10日水曜日

☆20140909 橋本薫さん 証言収録

2014年9月10日水曜日 18:06
橋本薫さんにインタビューしました。場所は広島女学院の放送室、インタビュアーは高1の荒井です。

橋本さんは、1929年10月1日のお生まれです。もうすぐ85歳です。
今の広島市中区段原の理髪店の息子です。
7人兄弟の下から2番目の息子として生まれました。

橋本さんは軍族として生まれました。当時は就職するのには、学校からの推薦が必要でした。
橋本さんは、学校からの推薦を受け、広島陸軍兵器補給所というところに勤めていたそうです。
広島陸軍兵器補給所とは、陸軍の兵器を管理するところです。橋本さんは、兵器の修理をしていたそうです。

1945年8月6日、橋本さんは、アメリカに秘密の武器を見られないように、比治山へ隠しに行かれていたそうです。午前8時15分、原爆が投下された時、何が起こったかわからなかったそうです。橋本さんは、数分気絶してしまわれました。
「比治山のおかげで私は助かった。」
原爆投下地と橋本さんがおられたところはとても近く、比治山がなければ橋本さんは即死になっていたそうです。
橋本さんはその時、生きた子どもが「助けてくれぇ。」と言うのを聞かれたそうですが、助けようにも助けることが出来ず申し訳ない気持ちになられたそうです。

原爆投下後、橋本さんは、水を求めて川に飛び込んで亡くなられた方々を素手で引っ張り上げ、トラックに積み、三篠の使われていない水田へ運び、その方々を焼くという作業をされていました。
その作業に2月要しました。橋本さんは10月にようやく家に帰ることが出来たそうです。
橋本さんは、両腕にケロイドが出来てしまい、今もその痛々しい傷が残っていました。


「戦争は、自分の命を犠牲にしても止めるべきだ。」
水を求めて川に飛び込んで亡くなられた方々を目の当たりにされた橋本さんはそのような強い気持ちを抱いておられます。
また、橋本さんは、原爆についてのご自身の意見を語られました。
「原爆は憎いが、原爆が落ちていなかったら日本国民は(地上戦によって)三分の一も残っていなかったと思う。
原爆が落ちたから天皇が降参したのだ。
原爆は悪だが、日本国民を守ったのだ。原爆が落とされたことを恨むべきなのかもしれないが、私は恨んでいない。」
一体どのような出来事が橋本さんをこのように達観することが出来るようにしたのでしょうか。

「人を大切にしていたから、原爆にあっても手の火傷だけで済んだのだ。私は上等の上等ですよ。」
橋本さんの、周りの人を大切にする心が橋本さんの人生を作り出したのでしょう。
私も、橋本さんのようにもっと人を大切に出来るよう、精進していきたいです。

今日は貴重なお話をありがとうございました。(難波)

2014年9月3日水曜日

☆20140806 岡邊好子さん 証言収録

2014年9月3日水曜日 18:02
岡邊好子さんにインタビューしました。
場所は、広島女学院の放送室、インタビュアーは高2の石原です。
今回はNHKの取材も入りました。


岡邊さんは1929年8月11日生れの85歳です。
家族構成は、両親と四人姉妹の六人家族です。
岡邊さんは、原爆投下時16歳でした。
広島女学院の四年生でした。
しかし、勉強はさせてもらえず、牛田の開墾作業をさせられていました。


当時、岡邊さんは、学徒動員で鉄道の切符を作っていました。
1945年8月6日、岡邊さんは、学校に行こうかどうか迷って、結局家におられました。
原爆が落ちた時、岡邊さんは、1.6kmの地点で被爆されました。
最初は、自分の家に焼夷弾が落とされたと思ったそうです。



岡邊さんのお父様も被爆して火傷がひどく、病院の中でも最も重症の人の病室に入れられました。
岡邊さんが二人の所へ行くと医者に「あと2、3日の命でしょう」と言われたそうです。
その後、お父様は、かさぶたを軍医に剥がされたことが原因で熱を出してしまいました。
後日、姉が見舞いに行き、戦争が終わったことを告げると、お父様はうんと頷いて息を引き取られたそうです。




「私は、今が自分の青春時代だと思うよ。」
16歳の青春時代を日本政府によって奪われた岡邊さんはこうおっしゃいました。
凍らされた16歳の感情が今になってようやく解き放たれたのでしょう。
「私が学生だったとき、勉強させてもらえなかった。だから、今学生のあなたたちに、勉強してもらいたい。」
勉強さえできなかった岡邊さんは、私達に勉強の有難さを強く訴えかけました。



「命を大切にして、しっかりと、生きていてほしい。
Yes, Noをはっきり言える人になってほしい。
私はしたいと思ってもできなかったもの。」
戦争の厳しさを生き抜いてきた岡邊さんは、誰よりも、命の大切さや自己主張の大切さを知っておられます。


岡邊さんの証言を聞き、勉強のできる自分の環境が、とても幸せだと改めて気づかされました。


今日は、貴重なお話をありがとうございました。(難波)