2014年9月3日水曜日

☆20140806 岡邊好子さん 証言収録

2014年9月3日水曜日 18:02
岡邊好子さんにインタビューしました。
場所は、広島女学院の放送室、インタビュアーは高2の石原です。
今回はNHKの取材も入りました。


岡邊さんは1929年8月11日生れの85歳です。
家族構成は、両親と四人姉妹の六人家族です。
岡邊さんは、原爆投下時16歳でした。
広島女学院の四年生でした。
しかし、勉強はさせてもらえず、牛田の開墾作業をさせられていました。


当時、岡邊さんは、学徒動員で鉄道の切符を作っていました。
1945年8月6日、岡邊さんは、学校に行こうかどうか迷って、結局家におられました。
原爆が落ちた時、岡邊さんは、1.6kmの地点で被爆されました。
最初は、自分の家に焼夷弾が落とされたと思ったそうです。



岡邊さんのお父様も被爆して火傷がひどく、病院の中でも最も重症の人の病室に入れられました。
岡邊さんが二人の所へ行くと医者に「あと2、3日の命でしょう」と言われたそうです。
その後、お父様は、かさぶたを軍医に剥がされたことが原因で熱を出してしまいました。
後日、姉が見舞いに行き、戦争が終わったことを告げると、お父様はうんと頷いて息を引き取られたそうです。




「私は、今が自分の青春時代だと思うよ。」
16歳の青春時代を日本政府によって奪われた岡邊さんはこうおっしゃいました。
凍らされた16歳の感情が今になってようやく解き放たれたのでしょう。
「私が学生だったとき、勉強させてもらえなかった。だから、今学生のあなたたちに、勉強してもらいたい。」
勉強さえできなかった岡邊さんは、私達に勉強の有難さを強く訴えかけました。



「命を大切にして、しっかりと、生きていてほしい。
Yes, Noをはっきり言える人になってほしい。
私はしたいと思ってもできなかったもの。」
戦争の厳しさを生き抜いてきた岡邊さんは、誰よりも、命の大切さや自己主張の大切さを知っておられます。


岡邊さんの証言を聞き、勉強のできる自分の環境が、とても幸せだと改めて気づかされました。


今日は、貴重なお話をありがとうございました。(難波)