2011年8月7日日曜日

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★神戸女学院との交流会(その2、20110802)

2011年8月7日日曜日 21:31
2011年8月2日(火)

神戸女学院との交流会2日目です。平和公園の碑巡り案内のフィールドワークをしました。ヒロシマ・アーカイブに収蔵される「平和公園碑巡り」の収録で何回も上手な先輩の碑巡り案内を見ているので、アーカイブメンバーの後輩たちはなかなか堂に入った案内ぶりです。




左は爆心地の島病院。エノラ・ゲイは、T字型の相生橋を投下目標としましたが、上空約1万メートルから投下された原子爆弾は、目標から170メートルほどそれた島病院上空580メートルで炸裂しました。

ヒロシマ・アーカイブの画面を開くと、地球儀が広島上空となり、いったん停止します。その停止したところが、原爆を投下した瞬間のエノラ・ゲイから見下ろした広島なのです。ちなみに、ここが爆心地であることは、遺されていた建物の影の向きから割り出されました。




右の写真は、慈仙寺の被爆した墓石。数トンはあるこの墓石が浮き上がり、間に飛んできた小石が挟まっています。

また、周囲から40~50センチ低くなっているこの地面が当時の平和公園(当時は公園ではなく中島地区という繁華街だった)の地面の高さです。瓦礫の上に盛り土して、現在の平和公園の地面ができました。当然、そこには拾いきれなかった遺骨が埋まっていて、私たちはその上を歩いているのです。平和公園全体がお墓なのです。
碑巡りのあと、資料館内部の平山郁夫画伯の作品の前で記念撮影。また来年お会いしたいですね。(矢野一郎)