2012年3月24日(土)
今中茂さんの証言収録に西条まで行ってきました。
インタビュアーは1年の源です。
西条はとてものどかで空気が澄んでいました。
今中さんはなんと大正7年5月10日生まれの94歳です!
今中さんは太平洋戦争前、中国の支那(シナ)に
兵隊として派遣され戦場で戦っておられました。戦場では日本軍の10人中5人が仲間が援護するために撃った銃弾に当たり亡くなったという衝撃的なお話も聞くことが出来ました。
戦場から帰ってきた後、今中さんは中国電力に務められました。
当時の食料は7分3分のごはんといって7割が米、3割が麦をつぶしたものだったそうです。
8月6日、今中さんは軍から招集を受け西条の農学校におられました。突然ピカッという光りを感じ、しばらくしてもの凄い爆音がきこえ、火薬庫が爆発したのではないかと思いました。広島のほうを見るときのこ雲が見えたそうです。知り合いの安否を確認するために中国電力に電話をかけましたが、繋がりませんでした。夕方になって広島から西条にきた負傷者に何が起こったのか聞くと「広島がなくなった。」と言われました。
翌日広島に入り、入市被爆しました。その時初めて広島に起こったことを知りました。生き残った人たちを福屋などに集め傷の手当てをしましたが、薬もほとんどないため傷口が化膿しハエがたかっていました。死体やがれきは穴に埋め次々と燃やしました。なので誰の遺骨かは分からなくなってしまいました。「こんなにたくさんの死体を見たのは初めてだった。」とおっしゃっていました。かろうじて生き残った人々も1週間以内に亡くなられました。今中さん自身も大腸癌などを患ったそうです。
最後に後世に伝えていきたいことを聞くと。。。
「戦争は絶対してはいけない。戦争は敵だけでなく仲間も傷つける。
仲間達は死ぬ間際に『お母さん』と言って亡くなりました。お母さんになるあなた達にこの悲しみを味わってほしくない。だから戦争はするべきじゃない。」とおっしゃっていました。
この思いを私達が伝えていかなければいけないと思いました。
インタビューの後カレーやケーキを振る舞ってくださいました。とてもおいしかったです!
貴重なお話ありがとうございました。(金森)