2011年5月8日日曜日

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★バプテスト教会『語り継ぐ』証言者撮影(20110508)

2011年5月8日日曜日 16:05
2011年5月8日(日)11:00~14:00

日本バプテスト広島キリスト教会(中区舟入町12-7)が発刊された被爆者証言集『語り継ぐ』で証言をしておられる10名のうち、6名の方がヒロシマ・アーカイブへの転載を許可してくださいました。今日は、その方々の写真を撮影させてもらいました。

礼拝から参加しましたが、ちょうど洗礼式(バプテスマ)の日で、礼拝の中で二人の若い方が、洗礼を受けられました。バプテスト教会独特の浸礼による洗礼式に立ち会う機会を与えられ、感動しました。

撮影は著名な写真家の粟根靖雄先生にお願いしました。女学院の写真部のコーチで、学校のパンフレット撮影もお願いしている先生です。粟根先生の公式サイトは
ブログは
です。
下の写真は教会での日曜礼拝の光景です。


礼拝後、教会の庭の一番奥にしつらえたセットで撮影をはじまます。

最初は、岡村悦弥さん(82)。岡村さんは旧制中学4年生の時、学徒動員先の三菱造船所(爆心地から約3キロ)で被爆されました。

粟根さんは、被爆者の方と語り合いながら撮影をされます。その方の人生・人となりをふまえて写真を撮っていかれるのです。一流の方の仕事ぶりには頭がさがります。とことんていねいな仕事ぶりで、どこにも手抜きや妥協がないのです。



二人目の濱野富美子さん(74才、現在の西区楠町1丁目バス停付近で被爆)に続いて、左の写真は三上君子さん(77)の撮影風景。助手はマネージャーの木本季依さんです。木本さんは、粟根さんのアシストをするだけでなく、一人一人の被爆者の語る言葉を、ノートに記録しておられました。

三上さんは、西区の三篠小学校(爆心地から1.7㎞)のグランドで被爆されています。同じく被爆されたお兄様は88才でご健在とのことですが、三滝橋をわたったところの河川敷で、亡くなったお母様を荼毘に付した時のことは、今も決して語られないそうです。

「死者何万人」という数字の向こうには、決して口にすることのできない、凄まじくそして悲しい出来事が存在しています。
三上さんは、腕や首に残るケロイドの跡を見せてくださいました。その傷跡が恥ずかしくて、戦後は夏でも決して半袖の服を着なかったそうです。

しかし、三上さんは、戦後結婚され、二人の息子さんを無事に育てることができたことを、神様のお守りによるものだと、素直に感謝しておられました。

4人目は、目貫美江さん(84)です。目貫さんは18才の時、西区の三篠神社すぐ北の旧国道沿いの建物の2階で被爆されました。

目貫さんは、「私たちが語っても、今の若い人には決してわからない部分がある」とおっしゃいました。「たとえば、『食べるものがない』ということの実感は、いくら語っても、実際に飢えたことのない人には伝わらないだろう」とおっしゃいました。

本当にそうだと思います。しかし、一見恵まれた私たちの生活も、ひとたび震災に見舞われると、あっという間に食料も水もない生活になってしまう脆弱なものであることを、今回の大震災に教えられました。目貫さんの言われる「今の若者には伝わらない」世界が、私たちとすぐ隣り合わせに存在していることに気づかされ、慄然としました。
写真撮影を終えた後、目貫さんを囲んで、即席の証言を聞く会になりました。粟根さんと木本さん、女学院高校の室田さん・安藤さん・民谷さんが今日の取材に参加しました。

なお、『語り継ぐ』の証言者のうち、安部さんと小出来さんは、体調を崩して撮影できませんでした。ご高齢の被爆者の記録を残すことがまさに急務であること、を思い知らされました。お二人の撮影は、また日を改めて行います。

牧師の播磨先生をはじめ、お世話くださったバプテスト教会の方々に感謝です(矢野一郎)