2011年11月26日土曜日

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★資料館での調査(20111125)

2011年11月26日土曜日 8:38
2011年11月25日(金)午前

大学にある女学院資料館へ調査に行きました。「8月6日の転校生」のための調査です。

被爆前と被爆直後の女学院の写真や当時の制服を調べることを目的としましたが、職員の西原さんが熱心に協力してくださいました。







2階の展示室には、被爆直前の校舎が模型で再現されています。当時の写真や証言によって再現したものです。











歴代の制服も再現されていました。真ん中のもんぺとセーラー服を組み合わせたものが、被爆当時の女学院の制服だそうです。白いスカーフが女学院生であることを示しています。

この制服を何とか再現して撮影をしたいと考えています。大学の宗教センターに相談したところ、なんと演劇用のもんぺがありました!あとは、エーラー服の上半分を用意すれば、何とか原爆投下時の女学院生の姿が再現できます。















被爆直前の高等女学校部の校舎とチャペルの写真です。













左の写真は、チャペルでの礼拝の様子。8月6日の8時15分、礼拝が終わって生徒が退出をはじめた時、原爆が炸裂しました。
ちょうどチャペルから外へ出たところで被爆した生徒、倒壊したチャペルの下敷きになった生徒・・・・短い時間の違いで、被爆のしかたはそれぞれ違いました。











左の写真は、被爆直後の女学院校地の様子です。天皇の写真を収めていた建物だけが残っています。

上幟町の被爆直後の写真は非常に少なく、女学院資料館に展示してある2枚だけしか把握できていません。他に被爆直後の写真の所在をご存じの方は、是非教えてください。(矢野)

2011年11月19日土曜日

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★赤木直美さん証言収録(20111119)

2011年11月19日土曜日 16:20

2011年11月19日(土)

今日は雨の中、赤木直美さんの証言収録へ行ってきました。インタビュアーは高2の富山です。初めてのインタビュアーで緊張した様子でしたが、赤木さんの優しそうな笑顔で徐々に緊張がほぐれ、和やかな雰囲気の中でインタビューを始めました。









赤木さんは1930年10月11日に5人兄弟の長女としてお生まれになりました。私たちの大先輩であり広島女学院の生徒でした。なんと赤木さんは、広島女学院高等学校および大学の卒業生、第1回生です!

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下される約一週間前まで広島市内の観音町に住み、学徒動員で財務局へ行っていました。しかし、原爆投下の約一週間前に広島から約100㎞離れたところにある、母の知人が住んでいる雄鹿原村へ疎開することになりました。母と、幼い妹と弟も一緒でした。
8月6日の朝、何かが光ったのを感じ外へ飛び出しました。その約30数秒後に、もの凄い爆音を聞きました。とにかく情報が何もなかったため何が起きたのか分からず、近所の人たちと加計の発電所が爆発したのではないか、と話していたそうです。飛んできたきた灰の中に交じっていた文書に鉄砲町と書かれたいたため、広島で何かが起きたのだ、と感じました。


観音町の教会にいた牧師のお父様を探すために、お母様が翌日薬などを持って、広島に向かったそうです。幼い弟妹と共に残された赤木さんは、心細くお母様の連絡をひたすら待ち続けていました。5日ぐらい経って、ようやくお母様から連絡が来て、お父様の無事を確認しました。お父様はブロック塀の側にいたため、熱線や光を浴びず足を骨折しただけで、手当もしてもらうことができたそうです。

赤木さんは、9月半ば過ぎに観音町の自宅や、牛田山にあった学校へいきました。その時横川から見た広島の地には何もなく、ただ比治山と似島が見えただけでした。

10月頃から牛田小学校を借りて、少人数の授業が再開されたそうですが、赤木さん自身は1月から復学されました。お父様は女学院の聖書の先生をなさっていたため、お父様と二人で現在の牛田山荘で暮らすことになりました。


その後、赤木さんは自身の女学院での生活について語ってくださいました。YWCAを設立したお話、授業を抜け出して近隣のYWCAへ遠征に行った話などを伺いました。友人たちと楽しい毎日を過ごしていたようで、私たちと同じ女学院生だったんだな、と実感しました。

最後に、今の女学院生に対して...
「高校で何かを掴んで、深めていけるようなことを見つけなさい。」と
おっしゃいました。

高校生の今、自分の興味のあることを見つけて、
それに向かって邁進していきたいです!!!

赤木さん、本日は本当にありがとうございました。(富山・室田・山岡・脇)





2011年11月9日水曜日

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★野村さんの証言動画収録(20111022)

2011年11月9日水曜日 15:45
2011年10月22日(土)高信寺で野村さんの証言収録をしました

今回のインタビュアーは高校1年の金森です。!!!初めて一年生がインビューをしました。緊張してたけど、よく出来ていました!!!お疲れ金森!!

今回の撮影は高信寺でした、高信寺に行くのは二度目なのでスムーズに行くことが出来ました。


最初にレフトハウスで被爆された野村さんお父様のの被爆証言CDを聞きました。爆心地に一番近い場所で生き残った方がいたのは知っていましたが、実際に証言を聞くのは初めてでした。

それから、野村さんご自身の話を聞きました。小学5年の時に小学校で掃除中に被爆しました。被爆直後は、竹藪で夜を明かしたり、お兄様が亡くなり、お母様の無事ばかり祈っておられてそうです。あと、隣人が親戚のように優しかったとおっしゃっていました。

野村さんのお話を聞いた後に、一人の男性が入って来られました。その方は原爆投下1年後に市内に入られたそうですが、土を掘って遊んだりしているうちに鼻血が止まらなくなったといいます。放射線の影響は、どのような形で現れるのか、まったく予測がつかないものだと思いました。(室田)