2015年4月18日土曜日

☆20150326 豊永恵三郎さん 証言収録

2015年4月18日土曜日 8:10

 2015年3月26日(木)に豊永恵三郎さんの証言収録を行いました。場所は広島女学院中学校舎の図書室です。インタビュアーは一宮です。

 豊永恵三郎さんは1936年3月29日生まれで、被爆当時は9歳でいらっしゃいました。当時は尾長町(現在の山根町)にお母様と6つ歳の離れた弟さんの3人で暮らしておられました。



 1945年8月6日、8時15分。坂町を歩いていた豊永少年は、広島市中心部の方から昇っていくきのこ雲を見ました。しかし、彼に見えたのはそれだけではありませんでした。きのこ雲に浮かび上がった2人の外国人の顔。ルーズベルトとチャーチルの顔。それは戦時中の教育のため敵国に強い怒りを抱いた彼の心、そのものでした。その後、行方が分からなくなってしまったお母様と弟さんを祖父母の方の家でお世話になりながら探し続けました。ようやく2人と再会できたのは8日のこと。弟さんはお母様に守られ無傷だったそうですが、お母様は誰か分からない程の火傷を顔に負われていたそうです。また、2人が見つかった二葉山に多くの遺体が放置されていたとのことです。
戦後、2度もガンが見つかり、治療をされた豊永さん。今は証言をすることが出来るけれど、食欲はなく新しいガンが見つからないかという不安に日々襲われています。

 豊永さんが証言収録をするようになったのは30年ほど前のことです。当時、教師をしていた豊永さんに大阪の学校で働いていた知り合いの方に依頼されたことがきっかけでした。それを皮切りに多くの学校の生徒や先生たちに証言をしていきました。その活動を行いつつ在外被爆者の方々の支援活動もなさっています。在外被爆者のことは何も知らなかったので勉強不足を痛感しました。

 豊永さんが今の、そしてこれからの若者に伝えたいことは3つ。1つめはアメリカがなぜ原爆をおとしたかを勉強し、しっかりと自分たちなりに考えてほしいということ。2つめは日本の加害責任を意欲的に学習してほしいということ。そして3つめは被爆の実態を知り、核兵器をなくす活動をしてほしい、とのことでした。私は3つめを聞いたとき、ある本で出会った言葉を無意識的に思い出しました。それは「核兵器の使用とものは決して許されない犯罪行為であり、そのような兵器は国際的に違法であるというような法制度を作ることこそ、私たちにできる本当の「継承」ではないだろうか。」というものです。確かに今回のような被爆者の方の話を聞き、後世に残す活動も「継承」ではあります。しかし、さらに被爆者の方の想いを受け継ぎ、それを実践し、成し遂げることまでを含めた意味の「継承」が何よりも大切なのではないでしょうか。

 
今回の豊永さんの想いを今後の様々な継承活動に活かしてゆきたいです。
本当に貴重なお話をありがとうございました。(伊藤)