西条にある中央生涯学習センターで川本博子さんの証言収録 を行いました。
インタビュアーは高1の並川です。
川本さんは1929年3月9日生まれの85歳で、 被爆当時は16歳でした。1945年8月6日、 広島女学院の専門学校1年生だった川本さんは寄宿舎で家に帰る準 備をしている時に被爆されました。 建物の下敷きになり傷だらけの状態で寄宿舎の先生と川の方へと逃 げて行きました。そこで、 今でも忘れることのできない体験をされました。川本さんに水を飲ませてもらった一人の少年が、「水、おいしかったよ。日本勝つね。」と言ったそうです。川本さんはその時はもう日本が勝つとは思っていませんでした。しかし、亡くなる寸前の少年を前にして、川本さんは「勝つよ」としか言うことができませんでした。このことを思い出すと今でも涙がこぼれるそうです。とてもよく笑う明るい方でしたが、この時だけは泣きながら話されていました。
戦後、差別などもなく2人のお子さんにも恵まれた川本さんでしたが、医者と縁が切れないほど身体は弱まり、大変な思いも多く味わってこられました。内臓や血液に異常がでるなど、多くの被爆者の方と同じように被爆後何年も経ってからも、その脅威に脅かされているそうです。
「誰かが戦争をすると言ったら文句を言いに行く。」と川本さんはおっしゃいました。「戦争は絶対にやってはいけない」という事は、ほとんどの戦争体験者の方々はおっしゃいます。しかし、川本さんのように行動を起こしたいという方は滅多にいらっしゃいません。とても印象深く、そして、とても心に響く言葉でした。川本さんが声を大にしてまで伝えたかったこの言葉。後世にまで残していくべきなのではないでしょうか。
今日は貴重なお話ありがとうございました。(大坪)
インタビュアーは高1の並川です。
川本さんは1929年3月9日生まれの85歳で、
戦後、差別などもなく2人のお子さんにも恵まれた川本さんでしたが、医者と縁が切れないほど身体は弱まり、大変な思いも多く味わってこられました。内臓や血液に異常がでるなど、多くの被爆者の方と同じように被爆後何年も経ってからも、その脅威に脅かされているそうです。
被爆体験を家族以外に話すのは今回が初めてということでした。戦後、何十年も経ってから、ぽつりぽつりと家族に被爆証言をするようになりました。被爆体験はとても恐ろしく、誰かに話せるようなものではなかったそうです。被爆という恐ろしい体験を笑って話せるようになるまで一体どれほどの時がかかったのでしょうか。
「誰かが戦争をすると言ったら文句を言いに行く。」と川本さんはおっしゃいました。「戦争は絶対にやってはいけない」という事は、ほとんどの戦争体験者の方々はおっしゃいます。しかし、川本さんのように行動を起こしたいという方は滅多にいらっしゃいません。とても印象深く、そして、とても心に響く言葉でした。川本さんが声を大にしてまで伝えたかったこの言葉。後世にまで残していくべきなのではないでしょうか。
今日は貴重なお話ありがとうございました。(大坪)