今日は、世田谷池尻の小川さんのお宅で、水野さんと合流し、被爆証言の取材を行います。
水野さんは広島女学院在学中に被爆し、その後青山学院へ転学されました。小川さんは小倉の西南女学院から広島女学院専門部へ移って登校した初日に被爆。水野さんと小川さんは一緒に安佐南区の方へ逃げ延びて、戦後小川さんが被爆者手帳を申請する際に証人となって以来交流が続いています。
小川さんのマンションの前で、水野さんと生徒が対面。
まずは、小川さんと水野さんに対談をしていただき、お互いの記憶を補い合って「あの日」の出来事を思い出していただくところから、取材を始めました。お二人は和気あいあい、「ああだった」「いや、こうだった」と会話がはずみます。
午前の対談が終わったところで、小川さん・水野さんと生徒2人は、一緒に食事をとりながら、話をすることにしました。高2の生徒(16才と17才)と同じ年齢の16才(小川さん)、17才(水野さん)の時に、お二人が被爆されたことが確認され、お互い感慨深げでした。
午後はまず、小川さんの単独インタビューから取材を再開。インタビュアーは室田さんです。小川さんは、被爆後すぐに小倉へ戻られ、出来たばかりの西南女学院専門部へ入学されて、原爆症と闘いながら苦労して教員になられました。
続いて水野さんの証言収録。水野さんは結局広島女学院を卒業せずに青山学院に移られ卒業。さらに聖路加で看護の勉強をなさって、養護教員として働かれた半生のお話をうかがいました。ちなみに、小川さんのお連れ合い(1996年に他界)は、青山学院の神学科と聖和大学キリスト教教育学科で教鞭をとられた水野誠先生です。(矢野一郎)