2011年6月4日 (土) 13:30~15:00
東京外大名誉教授の奈良先生にご紹介いただいた、高信寺ご住職の佐藤法行さんの証言を収録しに、ヒロシマアーカイブのメンバーで伺いました。
場所は広島市中区河原町、平和大通りの西南角にあるビルです。一見お寺には見えませんが、中へ入って階段を上ると、何と2階がお寺の本堂になっていて、びっくりしました。
インタビュアーは室田さんです。
高野山真言宗のご住職でいらっしゃる佐藤さんは、私たちのインタビューに、穏やかな表情で応じてくださいましたが、そのお話の内容は、本当に身の毛のよだつ恐ろしいものでした。
佐藤さんは1927年2月17日に生まれ、1945年8月6日、18歳の時に広島駅の地下で被爆されました。
この時、広島の上空の爆心の温度は100万℃にまで達しました。そのため、一瞬にして多くの人が性別の区別がつかないほど大火傷を負いました。
その頃、日本では各地で空襲があったため、広島にも各家の前に防火用水が設置されていました。被爆して大火傷を負った人たちは皆、水を求めてその防火用水に顔をつけたまま亡くなられていたそうです。
今、福島第一原子力発電所の事故により、福島に住む多くの方が、放出された放射性物質の出す放射線から逃れようと避難しています。しかし当時の日本は、敗戦し、貧しかったため、被爆した広島の人々を支援する余裕がありませんでした。広島の被爆者は、投下された原始爆弾についての情報も与えられず、避難する余裕もなかったので、そのほとんどが、残留放射線が残っている広島の地に留まって、野菜などを育て、必死に生き延びていたそうです。
佐藤さんは現在のお寺から出てきた様々な被爆した遺物を見せてくださいました。お金の入ったい貯金箱だったもの(左の写真)や、炭化して石のようになった木片、溶けたガラスの破片、鉄が溶けて張り付いた瓦などがありました。
~幸せは遠くにあるものではない。自分自身の中にある。親に反発したりせず、自分を見つめ自分自身の中にある幸せを自分で作っていかないといけない。自分で自分を変えていってください。~(富山)