河本明子さんの被爆ピアノが女学院に来ました。
この日、専門の業者さんの手によって、細心の注意を払ってピアノが搬入されました。戦後66年経って、明子さんのピアノは初めて母校にやってきたのです。
河本明子さんは、広島女学院専門部3年生に在学中の1945年8月6日に、現在の合同庁舎のあたりで被爆、命からがら三滝の家に戻られましたが、翌8月7日に、原爆症のため19才の生涯を終えられました。明子さんはアメリカ在住時からピアノの演奏を愛し、ショパンの子犬のワルツなどを弾いていました。
解体される三滝の家から、HOPEプロジェクトの二口とみゑさんの手によって、ピアノは救い出されたのです。爆風によってガラスが突き刺さったまま放置されていたそのピアノは、調律師の坂井原浩さんの手に委ねられ、再び命を吹き入れられました。
この日も、ゲーンスホールに搬入されたピアノの調律に余念のない坂井原さんの姿がありました。
この日、吉田さんが演奏した曲目は、ショパンの「ワルツ」(遺作)、同じくショパンの「ノクターン」(遺作)でした。ダイナミックな演奏によって、多くの生徒・教職員が心豊かな昼休みを過ごすことができました。吉田さんは、将来すばらしいピアニストとして大成するでしょう。(矢野一郎)