2011年6月11日(土))9:30~12:30
今回は、田部さんのご自宅で撮影させていただきました。インタビュアーは高2の板垣さんです。
田部さんは昭和4年2月28日のお生まれ、広島女学院専門部1年に在学中の16歳の年、被爆されました。旧高校旧校舎東部にのあたりにあったチャペルでの礼拝の直後、廊下へ出た瞬間のことでした。
田部さんは被爆直後の光景を「阿鼻叫喚だった」と語られました。
また、田部さんのお母さんは首からかかとまでやけどを負われました。
翌日、義兄様が軍におられたため、衛生兵さんが自宅に来てお母さんの治療をし、ウジ虫がわかないように、輸血をしてもらいました。
しかし、すぐ血が不足したため「馬血」を輸血せざるを得ませんでした。
また、当時は食料品も衛生的ではなかったため、お母さんはこの3年ほど後、毎朝毎日洗面器一杯の生きた「回虫」を吐くようになり、1950年7月に苦しみながら亡くなられました。
回虫の写真を実際に見ましたが、ミミズみたいでした。これが毎日口から出てくると思うと表現のしようがありません。
そして、田部さんは、板垣さんが電話をしただけで好きになるほどの素敵な方で、実際にお会いしてみても、とても親切で優しいな先輩でした。
貴重なお話を本当にありがとうございました。(室田麻季)