2011年6月14日(火)16:00~17:00
放課後に、被爆ピアノコンサートを開催しました。演奏者は女学院中高音楽科教員の木曽華奈子先生と、教育実習で女学院に戻っていたピアニストの三上恵理子さんです。
木曽先生のプログラムは、「かっこう」(ダカン)、「ゴールトベルク変奏曲よりアリア」(バッハ)、そしてこのピアノの持ち主だった河本明子さんが好んで演奏したショパンの「子犬のワルツ」、「ノクターン」(ショパン・遺作)そして、ドビュッシーの「アラベスク」でした。最初の2曲は、チェンバロの曲。コロコロと可愛い音を出す明子さんのピアノに合う曲ということで、木曽先生がチョイスした曲です。ショパンの「ノクターン」は映画『戦場のピアニスト』の主題曲となった素敵な曲です。
HOPEプロジェクトの主催者で、このピアノの所有者、そして広島女学院の日本語教員でもある二口とみゑ先生によるレクチャもありました。
このピアノを弾いていた河本明子さんは、学徒動員の作業中に被爆、三滝のお家になんとか戻ったものの、翌日には苦しみながら天に召されました。最期の言葉は「赤いトマトが食べたい」だったそうです。
二口先生は、河本明子さんのピアノを引き取り、調律師の坂井原浩さんに依頼して、このピアノをよみがえらせました。
さて、この日のもう一人の演奏者、三上恵理子さんが選んだ曲目は、ベートーヴェンのピアノソナタ「テンペスト」の第3楽章、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」、そしてショパンの「幻想即興曲」でした。桐朋音楽大学在学中にモスクワ音楽院などへ留学し、多くのコンクールで優勝している新進気鋭のピアニストの三上恵理子さんは、バプテスト教会の証言集『語り継ぐ』の三上君子さん(ヒロシマ・アーカイブ所収)のお孫さんでもあります。
http://jogakuin.mapping.jp/2011/05/20110508.html
因みに、三上君子さんと河本明子さんは、共に三篠尋常小学校のご出身、家もお互い三滝にありました。戦後66年を経た今年、河本明子さんの母校広島女学院において、その後輩がピアノを弾いたのです。三上恵理子さんの演奏は、まるで河本明子さんが乗り移ったかのような演奏でした。
演奏会の後、明子さんと恵理子さんの後輩たちは、ステージの上で、明子さんのピアノに触れさせていただきました。
ヒロシマ・アーカイブグループのカメラマン山崎桃さんは、ピアノの達人でもあり、明子さんのピアノを無心に弾いていました。
この日の模様は女学院のアーカイブグループが動画に収めましたが、NHKのディレクターの五島さんも収録してくださり、一つの作品に編集してくださいます。五島さん、そして五島さんを紹介してくださった高野ディレクターに感謝申し上げます。
また、この日の様子は翌日の朝日新聞でも「被爆ピアノと少女の愛」として報道されました。
お忙しい中、最後まで取材してすばらしい記事にして下さった加戸記者に感謝申し上げます。
なお、このコンサートの様子は、被爆ピアノのコーナーとしてヒロシマ・アーカイブに収蔵される予定です。(矢野一郎)